大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和42年(オ)1104号 判決

上告人

松井伝

代理人

岡田実五郎

ほか二名

被上告人

嶋源治

代理人

秋田光三

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人岡田実五郎、同鈴木孝雄の上告理由第一、第二点ならびに同安藤信一郎の上告理由第一の一について。

原審(その引用する第一審判決を含む。以下同じ)の確定する事実によれば、被上告人は、昭和三七年三月一五日上告人に対し本件家屋を賃料月額金一万五〇〇〇円、毎月末翌月分支払の約で賃貸し、同年九月一四日、賃貸期間を昭和四〇年九月一三日までと定めたが、右賃貸借契約には、賃料を一箇月でも遅滞したときは催告を要せず契約を解除することができる旨の特約条項が付されていたというのである。

ところで、家屋の賃貸借契約において、一般に、賃借人が賃料を一箇月分でも遅滞したときは催告を要せず契約を解除することができる旨を定めた特約条項は、賃貸借契約が当事者間の信頼関係を基礎とする継続的債権関係であることにかんがみれば、賃料が約定の期日に支払われず、これがため契約を解除するに当たり催告をしなくてもあながち不合理とは認められないような事情が存する場合には、無催告で解除権を行使することが許される旨を定めた約定であると解するのが相当である。

したがつて、原判示の特約条項は、右説示のごとき趣旨において無催告解除を認めたものと解すべきであり、この限度においてその効力を肯定すべきものである。そして、原審の確定する事実によれば、上告人は、昭和三八年一一月分から同三九年二月分までの約定の賃料を支払わないというのであるから、他に特段の事情の認められない本件においては、右特約に基づき無催告で解除権を行使することも不合理であるとは認められない。それゆえ、前記特約の存在及びその効力を肯認し、その前提に立つて、昭和三九年三月一四日、前記特約に基づき上告人に対しなされた本件契約解除の意思表示の効力を認めた原審の判断は正当であり、原判決に所論のごとき違法はなく、論旨は理由がない。

上告代理人岡田実五郎、同鈴木孝雄の上告理由第三点について。

原審の確定する事実によれば、上告人は本件家屋に居住し契約の目的に従つてこれを使用収益していたところ、所論の事情により上告人の居住にある程度の支障ないし妨害があつたことは否定できないが、右使用収益を不能もしくは著しく困難にする程の支障はなかつた、というのであるから、このような場合、賃借人たる上告人において賃料の全額について支払を拒むことは許されないとする原審の判断は、正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は理由がない。

同第四点について。

賃貸借契約が解除された以上、賃貸人の修繕義務および使用収益させる義務は消滅するのであるから、賃借人は、右の義務不履行を理由に未払賃料の支払を拒むことはできない。所論は、独自の見解に立つて原判決を論難するものであつて、採用することができない。

上告代理人安藤信一郎の上告理由第一の二について。

上告人の本件家屋の使用が妨害された程度についての原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として肯認することができ、原判決に所論のごとき違法はない。論旨は、原審の事実認定を非難するか、または、原審の認定にそわない事実を前提として原判決を非難するものであつて、採用することができない。

同第一の三について。

原審の確定した事実によれば、被上告人のした本件解除権の行使をもつて権利の濫用であるとはいえないとした原審の判断は、正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は理由がない。

上告人の上告理由について。

所論は、ひつきよう、原審の専権に属する事実の認定を争うものにすぎないところ、原判決に所論の違法は認められない。それゆえ、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(大隅健一郎 入江俊郎 長部謹吾 松田二郎 岩田誠)

上告代理人岡田実五郎、同鈴木孝雄の上告理由

第一点 原判決は事実認定に関する法則を誤解し、不当に事実を認定した違法がある。

一、原判決の引用する第一審判決によると「成立に争のない甲第一号証及び乙第一号証によると右賃貸借契約においては賃料を一ケ月でも延滞したときは催告を要せず契約が解除となる旨の特約があつたことを認めることができる」と事実を認定しているのである。

二、普通当事者が建物等の貸借をするには対当の地位において自由な意思のもとに白紙の状態で契約が締結されるものであつて、原判決認定の如く民法第五四一条所定の解除の必要要件を奪いしかも一回でも賃料の支払を遅滞したことを以て解除原因とするが如き特約は極めて苛酷な特約といわねばならない。

裁判例も右のような特約を以て「極めて苛酷な約旨」といつている。

(判例時報一一一号一三頁同時報二〇九号一四頁旧新三九二〇号五頁参照)。

果たしてそうだとするならばかかる極めて苛酷な特約の成立を肯認するがためには特段の事情の存在したことの説明を要するものといわねばならない。

そこで本件を見ると被上告人(原告以下同じ)は前記判示事実に添う主張をしているのに対して上告人(被告以下同じ)は之を極力争うており、被告の第一審における本人尋問の結果によると原告の主張に添うような特約条項は見なかつた。といつているのである。

一定の事実の有無が争いとなつている場合その争点を決するについて普通の取引(賃貸借)では見られない前記のような苛酷な特約の成立を肯認するが為めには特段の事情の存在を説明しなければならないことは吾人の経験則上当然のことであつてこれが事実認定に関する不動の法則でもある。

ところが本件賃貸借契約締結の際において被告が賃貸借契約成立当時において賃料の延滞によつて原告を困らせたとか原告において賃料を一回でも遅延されることによつて事業上の蹉跌を生ずるとか又は生活の資に大きな悪影響を持つとかという事情があつて賃料の支払を特別に厳重に確保にせねばならぬというが如き特段の事情は本件では全然認められない。

だとすれば原判決は普通あり得ない苛酷な特約の成立を肯認するに当つて特段の事情の存在を説明していないのは事実認定に関する法則を誤解したものであり、その誤解の上に立つて原告の特約の存在を前提とする無催告の契約解除の意思表示の効力を認めて被告に本件建物の明渡を命じたのは違法であるから原判決の破毀を求める。

第二点 原判決は契約書の約款に関する解釈の方則を誤解して約款の効力を認めた違法がある。

一、原判決の引用する第一審判決は甲第一号証及び乙第一号証の契約解除に関する約款を有効と解して特約を認めている。

ところで甲第一号証(乙第一号証)の約款を見ると、その第二条に「賃料を……万一一ケ月なりとも滞納せる際は権利金敷金の有無に拘らず、甲(原告)は何らの催告を要せずして本契約を解除し乙(被告)は即時明渡すものとす」とあるのであるが、

その第四条によると甲乙双方とも契約解除する際は一ケ月以前に通知し期間の終了と共に自費を以て貸家を明渡し、……一切清算するものとす」とあつて借家法制定以前に普通使用されていた文言もなほお平然として用いている外その第七条において「乙の居住者は三名限りとし、後日契約外の者を居住させざるものとす」とあつて普通アパートとか貸間の賃貸借契約に用いられているが如き文言を用いておりその第八条にも「乙は貸家において……犬猫等の家畜を飼育する等甲に損害を及ぼすべき一切の行為をしてはならない。」とこれまたアパートとか貸間の賃貸借に用いられるような文言を用いているのであるが本件契約締結当時原告が荒川区尾久町に住んでいて、第八条にいう犬猫の飼育の如きは直接原告に関係を有しない事項までも記載されている。

これらの契約文言から推して第二条の約款を見るとき果たして原判決の引用する第一審判決のいうような右第二条はしかし輙すく契約解除の約款として認めて特約の存在を肯認してよいものであろうか。

被告本人訊問の結果によると被告はかかる契約解除に関する約款を見なかつたとさえいつているのである。

なおその上甲第一号証及び乙第一号証の契約書の体裁を見ると、いずれも市販の用紙を用いており細字で不動文字で印刷されているのである。

実務例によるとかような種類の約款を例文と解してその効力を認めない立場を採つているのである。

則ち東京地裁の判決によると「原告主張の約款は一カ月分の賃料の支払を一日でも被告会社が遅らすとそれだけで催告もなく契約が解除せられ、地上建物を収去して土地を明渡さねばならぬという賃借人にとつて余りにも苛酷な内容のもので被告会社がそのような契約をたやすく承知するとは考えられないこと、賃料支払を滞つたときは、契約解除されても異議がない」と法律上当然のことをいい乍ら末文においては「何らの催告なくして契約を解除したるものとし催告のみか契約解除の意思表示さえなくして当然解除となるような規定をおき、その趣旨が必らずしも明確でないことを考え合せると本件の場合契約書上の前記文言は正に所謂例文に過ぎない(東地昭和二九年(ワ)第六四七五号32.3.9民四判判例時報一一一号一三頁)といつているのである。

ところが右地裁の判決以前に判示されている大審院の判例によるとそれを例文と解釈しないで「相当の期間継続して賃料の支払を怠るときは、解除される趣旨と解すべきである」(新聞三九二〇号五頁)とされていたのである。

しかし右大審院判例の示された昭和一〇年当時と、現在とは居住の需要度も違えば人文の発展過程に著しい変遷があるのであつて時勢の趨向は既に当時の居住権に対する観念と今日におけるそれとでは居住権の確立という社会的要請の点において雲泥月亀の差を生じていることは看過することを得ないものがある。

況んや本件における前記の如き契約条項等の特質から見るときは右大審院の見解は時代遅れの感があつて到底賛成するを得ないのである。

仮りに一歩を譲つて右大審院の見解を今なお是認し得るとしても、原判決は(第一審判決)その見解をさえ考慮するところなく唯、特約の存在を肯認して原告の解除の意思表示の効力を認めているのであつて如何に原判決の見解は時代ずれがして実情に合わないかが判然とするであろう。

仮りに甲第一号証及び乙第一号証契約第二条の約款が例文だとする法理が論理的に容れられないとしても、之を別の面から、則ち取引の信義則の面から又は法の衡平妥当性の面から見るときは右の如き約款はその効力を認むべきものでないといわねばならない。

この理を端的に表明したものに次の下級審の判決があるからここにそれを援用することとする。

賃貸人は本件土地賃貸借契約には賃料の支払を一回でも滞つたときは無催告解除となる旨の特約があつたと主張するのであるが仮りにそのような特約があつたとしても、かかる特約が賃貸借契約の当事者間で既に当事者間に何らかの紛争があるとかその他継続的信頼関係を維持してゆくためにかかる厳重な条項を以て、賃料の支払を保証することを必要とする等信義則上相当と認められる具体的な事情の存在して初めて有効と是認されるべきところであつて、このような事情もない、いわば白紙の状態で賃貸借契約が締結せられるにかかわらず、民法第五四一条所定の解除の所定の要件を奪い、しかも一回でも支払を遅滞したことを以て解除原因とするが如き特約は賃貸借契約における信義則から見て、約定の解除権の設定の自由の限界を超え賃貸人と賃借人との地位の保護の権衡を失し宅地使用権と賃料債権との双方関係の保証として不相当であつて、違法無効のものである(東地昭和三二年(ワ)第一六一二号34.10.17時報二〇九号一四頁)。

といつているのである。

かように考えてくると本件判示の約款は前記の如き他の約款や被告本人訊問の結果等を綜合して到底有効ということができない。

しかるに原判決は判旨の如く甲第一号証及び乙第一号証契約第二条の解除に関する約款を有効と解したことは契約書の約款に関する解釈の法則の誤解である。

そしてその誤解の上に立つて契約解除の特約を認めた上原告のした無催告の解除の意思表示を有効に解し、以て被告に本件家屋の明渡を命したのは違法であるから原判決の破棄を求める。〈以下略〉

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